場面緘黙(ばめんかんもく) は、確立された確かな会話能力があるにも関わらず、ある特定の状況下では話すことが一貫して困難になる症状です。現在では医学分野では不安症、教育分野では情緒障害、法律分野では発達障害に分類されて支援されているようです。
話すことだけでなく身体の動作が困難になる「緘動」がある場合もあります。全ての場面で話せなくなる場合、「全緘黙」と呼ばれています。また、適切な介入がなければ、症状が長期化し、社会適応に大きな問題をきたす場合があります。
また、場面緘黙が改善して話せるようになってからも困ることがあります。話すことに精一杯であることに伴う声の小ささや、それに対する周囲の理解のなさ、ブランクの期間があったためにコミュニケーションの面で困難を抱え込んでいる人も多いです。「話せるようになったから大丈夫」ではない場合もあるのです。
当事者や経験者は、話せるのになぜか全く話せない状態が続いた…と自分一人で悩みを抱えがちです。場面緘黙についてはメディアでも取り上げられてきましたが、全緘黙にいたっては、ほとんど話題にもされていないのではないでしょうか。場面緘黙が改善した後特有の、話せるようになってからの悩みもあるということにも目が向けられてほしいです。
「本当は話せるのに話さないなんてずるい」、「猫をかぶってるだけ」、「ただの人見知りだ」、「気にしすぎだ」などと周りから責められたり、勘違いをされることも多いです。
「"場面緘黙"という名前をつけない方がいいのでは?」という方もいますが、名称があることで一人で悩みを抱えず頑張ってこれたという当事者や経験者は多いです。
「わざと話さないのでは?」、「甘えているのでは?」と言われてしまうこともよくありますが、まず考えてみて欲しいことは、一言も話さずに日常生活や社会生活を問題なく送ることは困難だということです。緘動の症状も出てしまうとなおさらです。日常生活や社会生活でわからないことを人に聞くことも相談することもできず、就労もままなりません。わざわざ自分から自分を困る状況に追い込むでしょうか。大事なのは、わざとかどうかや甘えているかどうかではないと思います。
場面緘黙のみでも、保護者などの支援者がいない、もしくはいなくなって支援が得られない場合、日常生活と社会生活の両方が非常に困難になることがあります。場面緘黙の症状の性質上、人によってさまざまなハードルがあり、助けてほしいときにすぐ助けを求めることもなかなかできないことがあります。長く続いてしまうとなおさら改善の意欲も続かなくなり、うつや引きこもり、自死にまでもつながる危険があります。
場面緘黙の診断のみで精神障害者福祉手帳を取ることや障害年金を受け取るということは少なく、困難なようです。場面緘黙以外に併存している他の障害の診断も合わせてやっと手帳や年金を取得できるような現状では、まだまだ場面緘黙への理解と社会的な支援が足りていません。
医学的には、家庭など安心できる場では話せるのに、話を求められる学校など特定の場面で一ヶ月以上継続して全く話せなくなる症状のことを言うようです。話せない場面としてよく学校が挙げられますが、実際には症状が出る場所や状況も人それぞれです。話せなくなる症状が二十年以上も続く人もいます。
診断を下す医師は、当事者や経験者のことをいつも見てるわけではありません。そのため、当事者や経験者の多くは自己診断だと考えられます。自分にしか場面緘黙で話そうとしても話せなかった苦しみや辛さはわからないかもしれません。
場面緘黙の原因などのメカニズムは、よくわかっていません。医師や教員などの間でも、場面緘黙という言葉は知っていても、実際の場面緘黙児とはどのようなものなのか、また、どのような対応をすればいいのかは手探り状態なのではないかと考えられます。本来の能力が出せず、話さない状態で知能検査をされてしまい、本当はわかっているのに質問に答えられないなどで知的障害と誤診されてしまうということもあるようです。
場面緘黙は、米国精神医学会の「精神障害の診断と統計マニュアル (DSM-5)」や、世界保健機関の「疾病及び関連保健問題の国際統計分類 (ICD-10)」において診断基準が定められています。これらの中では「選択性緘黙」が和訳として正式に用いられていますが、特にICDの第11版からは「場面緘黙症」が正式な和訳として用いられる予定のようです。
DSM-5では、医学的な診断基準として、以下のように挙げられています。
【参考文献】